Mozart’s playfulness [音楽]
モーツァルト 交響曲 第41番 ハ長調 KV551 「ジュピター」
指揮 フランツ・ヴェルザー=メスト
演奏 クリーヴランドオーケストラ
(15/16シーズンオープニングコンサート、オンデマンドで11/16まで。)
今読んでいる吉田秀和氏の『響きと鏡』の次の一節に目が止まった。
(バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの音楽に対して)「これらの音楽を大ざっぱではなく、より正確にきく力を養い、そうしてまるで深呼吸でもするみたいに自分の中に深く吸いこむことを通じて、一歩一歩、音楽の核心に近づく努力をすることです。ベートーヴェンたちの音楽は、人間が音楽を通じて持ち得た最高の表現に達しているだけでなく、きくものに対し、音楽をきく耳と心と頭脳をよりシャープな、より深められらたものにするという働きを持っている、と私は信じます。」
ジュピターは14/15シーズンでも取り上げていたし、3月には地元オーケストラの定期演奏会でも聴いたので、食傷気味であったのだけれど、シーズンオープニングコンサートを聴いてそんな浅はかな思いは吹っ飛んでしまった。吉田秀和氏の言うように、モーツァルトの音楽を自分の奥深くに吸い込むことができたらどんなにか素晴らしいだろう。とある音楽評論家氏も、「芸術としての音楽を聴くためには、聴くことの修練を積むことが必要不可欠である。」と仰っていた。スコアを片手に分析するような聞き方はとてもできないけれど、何十回、何百回と聴くことで見えてくる世界があると常々思っている。
今年1月(14/15シーズン)のジュピターと比較すると、流麗さにさらに磨きがかかったと同時に、モーツァルトの提示する屈託のない陽気さが演奏の至る所に表れていた。ツアーに持って行く曲だけあって、技術的な瑕疵がなく完成度はきわめて高い。
この10年でオケの音色が変化した、とヴェルザー=メストが各所のインタビューで言っているとおり、今回も響きの変化を実感した。ドホナーニさんとのジュピターはブラスやティンパニーがしっかり主張するので、クリスタルな響きだ。一方、フランツはいかなる場合も弦を中心とした音楽づくりのせいか、絹に包み込まれたようなしなやかで柔和な印象だ。カラヤンを想起させる演奏ではあるのだが、美意識はカラヤン以上なのだ。どこまでも飛翔してゆくかのような最終楽章で優艶さが最高潮に達し、このまま本当に天まで昇ってしまうのではないかと思ってしまった^^;
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