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チャイコフスキー 交響曲第1番 冬の日の幻想 [音楽]

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Tchaikovsky Symphony No. 1 Winter Daydreams
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
Jaunuary, 2016年

連日の猛暑日。灼熱の暑さが続く。暑い暑いと言いながら、聴いているのは真冬の曲だ。「冬の日の幻想」に出会ったのは、去年のマイアミレジデンシーだった。普段は4番、5番、6番しか聴かないので、若い頃の作品にはあまり馴染みがない。2016年1月24日の日曜日。いつものように、WCLVから流れてくる中継を録音した。その曲をiPodに同期し、家を出る。午後から休日出勤だったのだ。前半のシューマンを聴きながら、冬の青空の下を歩いた。ところが、夕方に天候が急変する。太陽の光は消え失せ、サラサラとした粉雪が降り始めた。退社する頃は、辺り一面が雪景色。急な大雪でタクシーがつかまらなかったので、ヴェルザー=メストとクリーヴランド管の「冬の日の幻想」を聴きながら、強い吹雪の中を歩いた。音楽の世界を、地で行くような不思議な体験だった。朝は掴みどころのない曲だと思っていたのだけれど、雪の中で聴いていると、音楽が体に染み込むような感覚にとらわれた。以来、お気に入りの一曲だ。先月、ヴェルザー=メストは、バイエルン放送響で同曲を指揮した。あの日の記憶が蘇ってきた。どちらも素晴らしい演奏なのだけれど、やはりクリーヴランド管の演奏を取り上げよう。独特の優美さと芯のある響きは、私を惹きつけてやまない。オケと指揮者の一体感、流麗さと力強さは、チャイコフスキーでも健在である。

第2楽章の解釈がとりわけ秀逸だった。白いキャンバスの上で、淡いグラデーションが広がってゆくかのような繊細な世界に魅了される。オーボエ、チェロ、ホルンが、順番に旋律を奏でながら、様々な楽器が色を添えてゆく。なめらかにたゆたう音楽の流れは、ヴェルザー=メストの真骨頂だ。オーケストラは、第1楽章での弾力性のある力強い響きから一変し、精緻な趣きをみせる。雪の中に消えてしまいそうな儚さ。音符に秘められた作曲家の淡い感情まで見え隠れする精巧な解釈に、耳が釘付けになるのだ。言葉にならない寂しさを湛えた世界。このまま夢が覚めなければいいのに、世界は闇のままで、闇が明けなくてもいい...と何度思ったことか。

両端楽章の疾走感と飛翔感も魅力的だ。ヴェルザー=メストはとても速いテンポでオケをドライヴするのだけれど、全く弛緩することがない。堅牢さと清澄さを両立させた響きが、いつまでも耳から離れなかった。


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