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ブラームス 悲劇的序曲 [Johannes Brahms Cycle]

紫紺野牡丹.JPG

(今年最後の縮景園。紫紺野牡丹の紫が鮮やかでした。)


Brahms Tragic Overture, Opus 81
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
February 2015, Severance Hall

ブラームスチクルスレビューの最後は、悲劇的序曲です。偏らずにいろいろな作曲家の音楽を聴こうと思っていたはずが、ついついヴェルザー=メストとクリーヴランドオーケストラのブラームスに手が伸びた一年でした。交響曲とピアノ協奏曲は何回再生したかわからないほどです。

ヴェルザー=メストの悲劇的序曲は、インターネットラジオを通して4種類聴いたことがあります。2014年1月のセヴェランスホール定期演奏会、9月のプロムス、ヨーロッパツアー(コンツェルトハウス)、そしてDVD収録された2015年の定期演奏会です。

冒頭の和音から、非常に引き締まった硬派な響きが印象的です。クリスタルガラスのような透き通った響き、速いテンポ、縦の線をきっちり合わせた合奏力、しなやかに舞うような優雅さ。ヴェルザー=メストとクリーヴランドオーケストラの音楽の特性がよく表れた演奏だと思います。とりわけ、甘さを抑えた筋肉質な響きは、歩むべき人生への決意表明のような毅然とした曲想とよくあっていて、大変魅力的です。


今年は、欧州の主要オケへのデビューラッシュでした。コンセルトヘボウ管、シュターツカペレ・ドレスデン、ゲヴァントハウス管。コンセルトヘボウ管とのブルックナーは、あとからじわじわとその良さが伝わってくる名演だったと思います。先日、2020/21シーズンより、ウィーン国立歌劇場の総裁が交代するというニュースが入ってきました。オペラでのウィーン復帰もいよいよかもしれません。個人的には、GMDに返り咲くよりも(それはないと思いますが...汗)、客演しながら他のオケとの関係を深めてほしいと思っています。2018年のニューイヤーコンサートの指揮台に立つ可能性はあるでしょうか。そろそろお正月に姿を見たいものです。年始のWCLV(1月1日の午前10時)は、いつもどおりヴェルザー=メストのシュトラウスが聴けますので、どうぞお見逃しなく。

ではみなさま、よいお年をお迎えください。
今年もお読みいただきありがとうございました。






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チャイコフスキー 交響曲第6番 悲愴 [音楽]

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(夕靄の立ち込める冬の宮島)


Tchaikovsky Symphony No. 6 "Pathétique"
Franz Welser-Möst
The Cleveland Orchestra
2007, Severance Hall (Season opening concert)

ネットラジオ、ストリーミングサービス、CDを中心に、今年もたくさんの音楽を聴いた。印象に残った演奏は数多くあるのだけれど、その中で一つ選ぶとするならば、迷うことなくヴェルザー=メストの悲愴をあげる。1月のネットラジオのスタートは、マイアミ定期の「冬の日の幻想」だった。今年はチャイコフスキーについて、興味を深めた一年なのかもしれない。ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲を聴き直していくにつれて、その音楽性に魅せられたと言っていいだろう。チャイコフスキーを題材にしたケン・ラッセル監督の『恋人たちの曲 悲愴』も忘れがたい作品だ。

ニューヨークの批評家が"Unsentimental elegance"と評するように、ヴェルザー=メストの悲愴には、ひんやりとした空気感が漂う。暗澹としたファゴットの旋律と、不穏な低弦の調べで曲は始まり、ヴァイオリンの鋭い響きが耳をつんざく。情け容赦なく降りかかる試練を一身に受け止める以外、生きてゆく方法はないのだと言わんばかりの曲想だ。
地下室の暗闇にそっと光が降り注ぐような第2主題。ヴァイオリンが優美なメロディを奏でると、フルートの旋律が後続する。スミスさんのフルートは、マッチを擦って浮かび上がる束の間の幻想をイメージさせる儚い音色だ。ヴェルザー=メストの悲愴を聴いていると、死ぬことでしか幸福を得られなかったマッチ売りの少女の姿が脳裏に浮かぶ。心の奥深くにそっと語りかけるような音楽の進行が印象的だ。悲愴の録音は数多く聴いたけれど、アンデルセンを彷彿とさせたのは彼が初めてだった。淡い光が消えゆくと、研ぎ澄まされた剣先のように鋭い弦が再び登場する。セヴェランスホールの音響もあいまって、かなり激しく感じられた。狂ったように突進していく様子は、去年のマーラーの6番に通じるものがあった。

第2楽章はヴェルザー=メストが得意とするワルツだ。4分の5拍子という一風変わったもので、チャイコフスキーの創意工夫が見て取れる面白い楽章。不安定さが同居する旋律を、メランコリックに聴かせてくれる。
にぎやかで慌ただしい第3楽章。目が回りそうになる曲想は、躁状態の人間の内面を映し出すかのようで不気味だ。一糸乱れぬアンサンブルで、澄み切った響きはそのままに駆け抜けてゆく。

ヴァイオリンの慟哭 にも似た物悲しい旋律で始まる第4楽章。冴え冴えとした弦にブラスが加わり、音楽は静かに高揚してゆく。ヴェルザー=メストは大きくテンポを変えたり、タメを作るわけではないのだけれど、まるでワーグナーかシュトラウスのオペラのように、ドラマチックに音楽を作り上げる。山場への持って行き方が絶妙なのだ。音楽の高揚が最高潮に達する場面では、目の前に現れた"おばあちゃん"の姿が消えないように、ありったけのマッチを擦るシーンを連想せずにはいられなかった。むせび泣くような耽美的な弦の響きには、抗いがたい魅力がある。泡のように消えゆくラストには魂が揺さぶられる思いがした。


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アンスネスのシューマン [音楽]

ムクゲ


Piano Concerto in A minor, Op. 54
Leif Ove Andsnes, piano
Franz Welser-Möst
The Cleveland Orchestra
January 2016, Night Concert Hall (Miami residency)


今年はシューマンのピアノ協奏曲をよく聴きました。アンスネスをソリストに迎えた1月のマイアミ演奏会、8月の平和の夕べコンサートでの萩原さん、そして再び11月のN響定期にアンスネスが登場しました。

1月の演奏会。アンスネスの最初のタッチを聴いた途端、脳裏に浮かんだのはヴェルザー=メストの言葉です。「アンスネスは20年前の彼とは違います。非常に深みのある完璧な音楽家になっているのです。」冒頭から「おや、これは…すごいかも」と思いながら、一気に引き込まれたのを覚えています。そして先日のN響。疾走感溢れるピアノは、マイアミとはまた違った趣、瞬く間に魅了されました。

シューマンがクララのために書いた本曲は、男性の持つ包容力、安心感、気遣い、優しさ、凛々しさ、情熱、切なさ、儚さ、全てが詰まった宝石のような曲です。オケもピアノも相当難しいため、お気に入りの演奏に出会うことが少ない気がします。

青梅のように瑞々しいヘルムヒェンや、黄昏時に窓際に佇んでいる男性をイメージさせるアラウとも違う。ヴェルザー=メストとアンスネスのシューマンは、成熟した大人の深い愛をもっとも感じさせる演奏でした。らじるで聴いた演奏が、颯爽とぐいぐい進む大変素晴らしいものでしたから、しばしマイアミの演奏を忘れていたのですが…。


ヴェルザー=メストとクリーヴランド管の伴奏が、メランコリックで幽玄的な雰囲気を作り出していたように思います。オケ全体のカラーである白磁のように透徹した美しさ、翳りのある木管の音色、陰影に富んだ弦楽器がアンスネスをサポートします。シューマンの描いた美的世界を、ここまで綺麗に昇華させた演奏はめったにないと思うのです。漣のように押し寄せてくる旋律を、アンスネスは一音一音丁寧に紡いでいました。

第1楽章。オーボエの渋い艶のある音色が耳を引きます。吹いているのはおそらく、首席のローズンワインさんではなくラスブン氏かな。(今度のドイツレクエムでも彼が1番を吹いています。)クリーヴランドの深みのある弦とアンスネスの透明度の高いピアノが絶妙にブレンドされ、何ともいえない幻想的な雰囲気を作り出します。アンスネスのピアノは、細やかな優しいタッチと芯のある強さが同居する特筆すべきもの。さらりと弾いているようで、実は相当コントロールされているような印象を持ちました。特にカデンツァでの、迫力のあるタッチが、情熱的な愛の告白のようにも感じられて、非常に良かったです。

春の木漏れ日の中を歩きながら、愛を語らうかのような優しいイメージの第2楽章。アンスネスの静謐なタッチがキラリと光っていました。第3楽章。スタイリッシュに決めていたEMIの録音と違って、非常にゆったりと夢の中を進んでゆくかのような演奏でした。

ヴェルザー=メストが指摘するように、10年以上前のEMIの録音から、アンスネスは確実に進化を遂げています。若狭塗り箸のように、きっとこの十数年間で塗り重ねた(=積み上げたもの)ものが、今の彼の演奏にきらりと光るものとして表れているのだろうなと思いました。


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