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内側から滲み出る輝き Hidden passion - Johannes Brahms Cycle No. 3 - [Johannes Brahms Cycle]

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Johannes Brahms
Symphony No. 4 in E minor, Opus 98
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst
January 2014, Severance Hall


ボーナストラックのインタビューで、ブラームスの交響曲についてヴェルザー=メストは以下のように語っている。
“The underlying tone in all Brahms symphonies is sort of hidden passion. I believe that his music has inner glow which you have to bring out."
(ブラームスの交響曲の基調トーンは秘めた情熱。)


第1楽章。冒頭からヴァイオリンセクションが、堰を切ったように哀愁に満ちた旋律を滔々と歌い上げる。シ−ソ−ミ−ド−♫のパッセージを早めに処理することで、寂寥感や諦念といったものよりも、切迫感ややり場のない思いを強く感じさせる演奏だ。ヴェルザー=メストの言う「内側から滲み出る情感」を、すべての楽器が一糸乱れぬアンサンブルで表現する。
木管セクションの奏でる第2主題も、憂いを帯びた柔らかな音色だ。コーセルさんの映像は、フィーチャリングされている楽器をクローズアップしてくれるので、初心者に優しい。クラリネットのマッケルウェイさん、フルートのスミスさん、オーボエのローズンワインさんのやりとりが、視覚的にもよく分かる。


荘厳なホルンで開始される第2楽章。ヴェルザー=メストとクリーヴランドオーケストラの佳処がもっともよく現れるのは、こういった緩徐楽章だと思う。傷心を癒すかのような中間部の旋律を、非常に繊細で奥行きのある演奏で聴かせてくれる。セヴェランスホールの壮麗な天井やホールの装飾をクローズアップする映像演出も、精巧な響きとよく合っている。


第3楽章。強奏になっても透明感のある艶やかな響きはそのままに、颯爽と駆け抜ける。
第4楽章。非常に引き締まった緊迫感のある演奏が、晩年のブラームスの境地を想起させる。ラジオで聴いたときも圧倒されたが、中間部のスミスさんのフルートソロがやはり素晴らしかった。膨らみのあるたおやかな響きだ。



ヴェルザー=メストのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団デビューは延期に [放送予定]

オーケストラのホームページではまだ正式発表されていませんが、ヴェルザー=メストのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団デビューは、延期になったようです。webキャストのページを覗いてみると、今月末の演奏会をキャンセルした、と告知があります(詳細はこちら)。代役はロレンツォ・ヴィオッティ。

4月のブルックナーは振るのかなあ。。webキャストを楽しみにしていたので、本当に残念です。本人の体調不良なのか、はたまた大人の事情なのか。


放送予定を更新しました。
2/22に放送のオールベートーヴェンプロ(1/9の定期演奏会)は、ブーレーズさんに捧げられた演奏会です。


尋ねる耳 [和書]


はじめてのクラシック (講談社現代新書)

はじめてのクラシック (講談社現代新書)

  • 作者: 黒田 恭一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1987/10/19
  • メディア: 新書



初心者を対象にしたクラシック音楽の本は数多く出版されているが、黒田さんの著書はひときわ秀逸だ。昨今、音楽評論家、アマチュアのクラオタと呼ばれる人々の間では、過激な批評で読者の関心を引こうとするきらいがある。対照的に黒田さんの文章はソフトで穏やか。作曲家と演奏者への謙虚な眼差しは、確固たる信念に裏打ちされたものだ。


「クラシック音楽というミカンにかぶりついて、肝腎なのは、この味から判断すると、おそらく、このミカンは紀州産でしょう、と能書きをたれることではなく、「やあ、美味しかった!」のひとことをいうことである。」


聞き下手、無神経な人間に限って、聞いた音楽のあら探しをする。長年音楽を聴いていれば、「いちおうの目利きになるのは容易だが、見巧者になるのは容易ではない」と断言している。

振り返ってみるとこの5年間毎日、クラシック音楽を聴いていた。何が自分をそうさせたのか。黒田さんが言うように、音楽を聴くたびに「やあ、美味しかった!(=心を揺さぶられる)」という体験を重ねている証なのだと思う。黒田さんのご友人にとって、クラシック音楽の旅の最初の案内人がグルダであったように、私にとっての案内人はヴェルザー=メストとクリーヴランドオーケストラの音楽なのだ。道を照らしてくれる人がいるのはとても心強い。


本書では、コンサートとレコーディング鑑賞の違い、オペラのこと、ディスク選びの落とし穴など、実に様々な観点からクラシック音楽について述べられている。中でも印象に残ったのは、タイトルに揚げた「尋ねる耳」についての項目だ。


とある小学校の音楽の先生が、子供たちに「ソナタ形式」を教えるエピソードがある。教材はモーツァルトのホルン協奏曲第1番。この先生は、まず子供たちに馴染みのある鉄腕アトムのメロディを聞かせ、その後、他のメロディと鉄腕アトムの旋律をミックスして演奏をする。アトムのメロディが聞こえたら手を挙げるように指示を出す。時には転調し、時には変形してアトムのメロディが提示される。オリジナルどおりには演奏されないため、子供たちは戸惑いを見せるのだが、音楽を探そうと一生懸命に耳を傾ける。すなわち「尋ねる耳」で音楽に向きあうのだ。
アトムで耳慣らしをした後、いよいよ本題のホルン協奏曲第1番のメロディを教えられる。旋律を覚えた後、アトムの時と同じように、その旋律が聞こえたら手を挙げる。子供たちにとって、アトム以上に難解であるのは言うまでもない。この先生のすごいところは、一度も「ソナタ形式」という言葉を使わずに、実体験を持って子供たちに「ソナタ形式」を教えようとしていたところだ。私もこんな先生に教えてもらいたかったー、と思わずいはいられないエピソードだった。


漫然と聞いていると注意が散漫になり、退屈しがちだ。黒田さんは、ソナタ形式を少しでも意識しながら聞くと、耳に遊んでいる暇がなくなり「尋ねる耳」の感度が高くなると指摘する。スコアが読めなくても、ソナタ形式がどういうものかはなんとなく理解できるわけだがら、展開部や再現部を意識しながら聴くのは、音楽を深く理解する上では実に効果的だと思う。初めて聞く曲に対しては、さすがに「尋ねる耳」になるのは難しい。ある程度知っている曲について、「尋ねる耳」で聴くとより深い次元で音楽に触れることができるはずだ。


アスリートのようなストイックさ - Johannes Brahms Cycle No. 2 - [Johannes Brahms Cycle]

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Johannes Brahms
Violin Concerto in D major, Opus 77
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst
Julia Fischer, violin
January 2014, Severance Hall


ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、長らく苦手な曲の代表格だった。長大な第1楽章を、スローテンポで情感たっぷりに演奏されると、もーお腹いっぱい・・・すみません、となって脱落してしまうのだ。そんな私の苦手意識を完全に拭い去ってくれたのが、これまたクリーヴランドオーケストのとある演奏会だった。忘れもしない2012年5月のカーネギーホール公演。幸運なことにライヴ放送があったので、インターネットの前でスタンバイしていた。もともとはブロンフマンがピアノ協奏曲第2番を弾く予定だったが、急遽キャンセルし、ギル・シャハムのヴァイオリン協奏曲に演目が変更された。なんとなく聞き始めたところ、今までに聞いたことのないようなブラームスにすっかり魅了され、以来、どんなタイプの演奏も聴けるようになったというわけだ。「ブラームスのVn協奏曲って、こんな曲なんですよ、みなさん聞いてみて」。本曲のエッセンスを余すところなく伝えるギル・シャハムに、心底感動したものだった。



第1楽章。冒頭の第1主題からクリーヴランドオーケストラの純度の高い演奏に惹きつけられる。清澄な響きとふんわりとした質感が程よくブレンドされ、実に心地良い。やや早めのテンポでのトゥッティが終わった後、颯爽とユリア・フィッシャーの独奏ヴァイオリンが入る。彼女はブラームスのコンチェルトに何らかのストーリーを見出すことはない、とインタビューで語っているとおり、実直に音楽と向き合う姿勢がうかがえる。艶やかさであるとか、気迫、情熱といったものよりも、アスリートのようなストイックさが前面に出ていると思う。だからといって淡々としているわけではない。瑞々しい音色と精緻な演奏は、オーケストラとヴェルザー=メストの音楽に実によく溶け合っているのだ。ノーブルな紺のドレスは彼女の楚々とした魅力を引き立てる。


第2楽章。ローズンワインさんの嫋やかなオーボエを堪能した後(この方のオーボエにはいつも陶酔してしまう)、フィッシャーのヴァイオリンがその旋律を引き継ぐ。節度を保った折り目正しい彼女の音色がこの上なく秀逸だ。
軽快な第3楽章。最後までストイックに駆け抜ける独奏ヴァイオリンを、ヴェルザー=メストの軽妙なタクトでオケ全体が手堅くサポートする。聴き終わった後の爽快感は本ディスクの白眉とも言えるだろう。今回のユリア・フィッシャーのヴァイオリン、知・情・意で考えると、情の部分がもう少しあれば、と感じることもあったけど、ライヴ録音でのこの完成度には感嘆するばかりだ。



(マエストロによると、ユリア・フィッシャーのIQは160以上だそうです。)



淑やかに舞うように - Johannes Brahms Cycle No.1 - [Johannes Brahms Cycle]

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Johannes Brahms
Academic Festival Overture, Opus 80
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst
January 2014, Severance Hall


レコード芸術2013年2月号の巻頭インタビューで、次の録音はブラームスというニュースを知ってからおよそ3年、遂にヴェルザー=メストとクリーヴランドオーケストラのブラームスが映像リリースされた。全3巻のうち、1, 2巻に収録された演奏会は、ラジオ放送を録音して繰り返し聴いていた(もしかしたら100回を超えているかもしれない^^) 。エアチェックした演奏会を、晴れて映像作品として視聴できることが感慨深くもある。今の私の状態を、特典インタビューでのフランツ先生の言葉を借りて表現すると、”The beauty and flexibility of Cleveland Orchestra under the baton of Welser-Möst captured me completely!"といったところかな。聴くたびに新たな発見があって興趣が尽きることがない。


大学祝典序曲は、1879年にドイツ(現ポーランド)のブレスラウ大学から名誉博士号を授与されたことへの返礼として作曲された。屈託のない陽気な旋律に彩られた本曲は、演奏会用序曲として定番のレパートリーだ。10分ほどの曲ではあるけれど、この曲ひとつを取ってもヴェルザー=メストとクリーヴランドオーケストラの目指す音楽が如実に現れていると思う。優雅さとしなやかさ。出だしのふんわりと淑やかに舞うように奏でられる弦に、思わず身震いしてしまった。ラジオ放送では味わえなかった感覚だ。クレーンカメラによる流麗な映像の効果もあいまって、楽器間のフレーズの受け渡しの滑らかさが際立っている。新体操のリボン競技のようなエレガントな演奏だ。


Apple Music その1 専用のApple IDを用意する [Apple Music]

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(iPad miniのミュージックライブラリ)



Apple Musicのサービスが始まって、半年以上が経過した。他国に比べて日本ではCDを買う人が多いので、ストリーミングサービスの定着率は低いかもしれない。私も好きなアーティストのCDは必ず購入するのだが、近くの図書館にクラシック音楽のCDが置いておらず、好きなだけCDを買うわけにもいかない、といったような場合、Apple Musicは実に魅力的なサービスだ。


私がApple Musicを利用するのは、次のどちらかの場合である。
1. 聴き比べをしたい時。
2. 作曲家の本を読んでいて、新しい曲が聴きたくなった時。
1も2もYouTubeである程度の曲は利用できるし、IDAGIOにもかなりの曲が揃っている。それでも有料のサービスを利用するのは、最近の演奏を聴きたい点が大きい。


Appleのサービスを利用する場合、Apple IDが必ず必要となる。
私の現在のデバイスとコンピュータ環境は以下の通り。

メインデバイス iPhone 6 (64GB) iPad Air 2 (64GB)
サブデバイス  iPhone 4 (32GB) iPad mini初代 (16GB)
コンピュータ Windows 7 Mac book Pro


当初、上記全てのiTunes およびiTunes Storeに同一のApple IDを設定していた。
Windows 7のiTunesには、数年かけて構築した大規模なミュージックライブラリが存在し、iPhoneやiPadに音楽を同期をしている。そのライブラリに紐付いているApple IDでApple Musicに加入し、iCloudミュージックライブラリをONにしたところ、既存のプレイリストやアルバムジャケットに不具合が出てしまった。(ライブラリの規模が小さければ、問題はないのかもしれないけれど。)
試行錯誤の結果、初代のiPad miniを初期化し、Apple IDを新規作成、Apple Music専用の端末に設定したのである。既存のライブラリと完全に切り離したので、非常に快適になった。iOSデバイスを利用していない場合、コンピュータのiTunesでライブラリを新規作成し、Apple IDを新たに作成するという方法も可能だ。



タグ:Apple Music

ヘルムヒェンのシューマン [音楽]

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(先週岡山で撮影した梅)


Schumann: Piano Concerto in A minor, Op. 54
Piano, Martin Helmchen
San Francisco Symphony
Yan Pascal Tortelier
2013/10/16
(オンデマンドは2016/2/15まで。)


ヘルムヒェンは、2011年にドホナーニさんの指揮でタングルウッド音楽祭に登場して以来、北米でも着実にその存在感を増している。2013年には、サンフランシスコ交響楽団にシューマンのピアノ協奏曲でデビューを果たした。私が彼のピアノを聴き始めたのは、2014年のパリ管からなので、ファン歴はとっても浅い。サンフランシスコ響も時々放送をチェックしていたのだけれど、残念なことにこちらの演奏会はスルーしていた。まさかオンデマンドになるとは予想していなかったので、嬉しい限り。ヨーロッパや北米の放送局は、過去の演奏会も時々放送してくれる点が良いなと思う。できれば2011年のタングルウッドデビューのシューマンも聞いてみたい。なんといっても伴奏がドホナーニさんですから。昨秋もドホナーニさんとフィルハーモニア管の伴奏で、シューマンを演奏していた。


ヘルムヒェンのシューマンについては、PENTATONEのCDや、ブランギエ指揮&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団との演奏会のエアチェックを繰り返し聴いている。トレードマークはなんといっても、第3楽章の冒頭だろう。こちらのインタビューによると、第3楽章にはこだわりがあるらしく、早めのテンポで颯爽と駆け抜けるのは好まないようだ。ゆったりとしたテンポと強靭なタッチ。好き嫌いが分かれるところだと思うが、実に意欲的な解釈だと思う。


いつもながらの粒立ちの良い響きと溢れんばかりの瑞々しさに加え、今回は毅然とした凛々しさを演奏の端々で感じた。以前は内省的なタッチや透徹な響き、やや控えめな姿勢が全面に出ていた。録音だけではアーティストの変化には気づきにくいので、やはりエアチェックは重要だ。ヘルムヒェンは着実に次のステージへ進んでいる!


そういえば1歳になる娘はクララちゃんという名前らしい。
もしかしてクララ・シューマンからとったのかな^^




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