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Mahler's Fifth [音楽]

様々な指揮者とオーケストラのGM5を聴きながら、ヴェルザー=メストとクリーヴランド管の演奏に思いを巡らしている。やはり彼らの音楽はつねに抑制が効いていて、見通しが良く、軽やかである。さりながら、その底から立ち昇る情味の香りが聴き手を酔わせるのだろう。聴き終わった後は、芳醇な美酒のように後を引き、一方であふれんばかりの浄福感に包まれる。



Listening to various recordings of Gustav Mahler's symphony №5, I am thinking of the last September's performance by Cleveland Orchestra under the baton of Music Director Franz Welser-Möst. Their music is always understated, transparent, and kind of pleasing. However, a human touch fragrance rising from the their performance fascinates listeners. After listening to the end, the resonance lingers like mellow-taste wine and pure happiness captures listener's mind eternally.

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備忘録(初回放送を鑑賞後のメモ書き)
ヴェルザー=メストとクリーヴランド管のGM5。美しさよりも地を這うような凄みを感じた。薄明かりの中を一歩一歩着実に進んでゆきながら、甘美に歌いあげたくなるところをぐっと抑え、一気に加速する。テンポ設定が絶妙だ。アンサンブルは一糸乱れず。音楽の盛り上げ方が最高に上手い。

「句読点の付け方」が少し変わった気がする。もっとサクサク進むかな?もっと弦が歌うかな?とあれこれ予想していたのだけれど、嬉しいくらいに期待を裏切ってくれたなあ。マンネリとはほど遠いコンビだ。今週のカーネギーに向けて、めちゃくちゃ気合いが入っておられるようです。

第2楽章のチェロの響きが秀逸すぎる。どうやったらあのような漆黒の音色を引き出せるんだろう。遅めのテンポから突如狂ったように加速するところとか、こだわりがありそう。

音楽がブチっと切れたり停滞しないのは、果てしなく続く一本の太い線があるから。ここはどんな曲を振っても揺るがない。その中で変幻自在に表情を変える指揮者とオケの姿が出色だった。今回のクリーヴランド管とヴェルザー=メストのマーラー5番。

やはり今回のアダージェットは特別なのだな。
"James R. Oestreich
Have you ever heard the magical Adagietto of Mahler's Fifth Symphony played more beautifully than in the Cleveland Orchestra's reading under Franz Welser-Most on Thursday at Carnegie? I haven't. No laggard tempos or soupy emotion needed; just an uncanny mix of ease and intensity."

例のアダージェットを聴くと、胸の内に無意識に隠していた感情が表面化する。不思議な感覚だ。ノーベル賞コンサートで、「音楽は現実を超越したもの伝達する」と語ったスピーチの真意が少し理解できたかもしれない。最終楽章はまるで舞踏会のよう。こういう所はさすがだなぁ。

1日を始めるには、第5楽章の底抜けの明るさがふさわしいけれど、ふとした瞬間に脳内でリフレインするのは、第3楽章の旋律だったりする。なんとも言えない感情の移ろいを全身で感じるから。GM5、思っていたよりずっと奥が深い。いつもながら様々な気づきを与えてくれるな…TCOとヴェルザー=メスト。

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チャイコフスキー交響曲第5番 [音楽]

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Tchaikovsky Symphony No. 5
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
April 2019 at the National Centre for the Performing Arts in Beijing

約20年ぶりにクリーヴランド管が中国ツアーを行った。
2日間にわたる北京公演は、両日とも全世界に向けてライヴ配信され、オンデマンドとなっている。中国中央電視台のすごさに恐れ入るばかり。

ヴェルザー=メストとクリーヴランド管のチャイ5の演奏時間は、わずか40分だ。速いと言われるムラヴィンスキーでさえ41分なのだから、本曲の最速記録を更新したかもしれない。目の覚めるような緊張感でもって、今までのチャイ5のイメージを鮮やかに覆えす。この演奏では、聴き手が甘い感傷に浸る場面はない。代わりに、沈みかけた心を激しく揺さぶり、奮い立たせる何かがある。迷いのない切れ味の良さ、俊敏さ、張り詰めた緊迫感。どこを切り取っても、辛口なのである。

いつもながら、木管セクションが惚れ惚れするほど美味い。スミスさんとローズンワインさんに加えて、Afendi Yusufさんのクラリネット。冒頭、あざとさのない、控えめな音色でチャイコフスキーの世界に誘う。

第2楽章。抑えきれない感情が溢れ出し、めらめらと燃え上がる。多幸感に包まれる暇はなく、凛々しく進行する。叩きつけるような激しさが印象的だ。

第3楽章。かつての美音に徹するヴェルザー=メストらしさを垣間見ることができるのは、この楽章だけだった。凛とした佇まいの中に、そこはかとない美しさが滲み出た瞬間を感じた。オケの水際だった演奏がキラリと光る。疾風の如く駆け抜ける最終楽章は、圧巻としか言いようのない出来栄えだ。


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マーラー 交響曲第9番 (11/17 Update) [音楽]

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(カーネギーホールでのマーラー9番。Photo: Chris Lee )


Mahler Symphony No. 9
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
January, 2018
11/20(火)午前4時 Red River Radioにて放送予定

去る1月14日の朝、WCLVでクリーヴランド管の定期演奏会を聴いた。曲目は、マーラーの交響曲第9番。すでに2ヶ月が経過しようとしているが、未だに私の心を捉えて離さない。

ヴェルザー=メストは、本曲について長文のエッセイを書いている。大変興味深い内容だ。人生の歓喜と悲哀、希望と落胆。マーラーは、第九番交響曲において、あらゆる感情を総括して捉えているのだと力説する(インターミッションの一部が聞けます)。

それらの感情を、実に自然な音楽の流れのなかで、切々と表現したのがヴェルザー=メストとクリーヴランド管の演奏だ。時に穏やかに、時に荒々しく聴く者の心を揺さぶり、深い余韻を残す。

第1楽章。若かりし頃への憧憬なのか、悟りの境地へ達しているのか、何とも言えない幽玄的な雰囲気に包まれている。ヴェルザー=メストがクリーヴランド管から引き出す音色は、真冬の青空に差し込む太陽のような清廉さと力強さを備えたものだ。15年間の実績に裏打ちされた、一点の曇りもない確かな指揮。個々の音やフレージングは自然であるにもかかわらず、集結された時に現れる音の勢いや凄みが圧倒的だ。1月の寒い朝に、毎日聴き惚れてしまった。全てを委ねたくなるような不思議な吸引力が存在する。その力は、楽章が進むにつれて、静かな炎をあげながら加速する。

第2楽章。前半は陽気で滑稽なワルツが続く。キビキビとした小気味よいテンポで進んでゆくが、次第に陰鬱な様相を呈す。一糸乱れぬ不気味な響きに、思わず震え上がってしまった。(これは、これは、録音なのに!)

第3楽章の緊迫した雰囲気には、特筆すべきものがある。マーラーの生への最後のあがき、(ヴェルザー=メストの解説によると)周囲への反撃を表現した楽章である。耳をつんざくような強烈な金管、弦、打楽器、木管が複雑に絡み合い、突進してゆく。ここでヴェルザー=メストは手綱を一切緩めず、これでもかというくらいオケをドライブする。中間部の光が差し込むニ長調の旋律も束の間、闇を一気に突き進む。第2楽章と同様、妖しく凄まじい響きに圧倒され、呆然とさせられた。現実に戻れなくなるほどの抗えない魔力を備えた解釈なのだ。

第4楽章。永久の眠りへの不安と、浄化された感情が交錯する。薄明かりの清澄な光の中に身を委ねているかと思えば、暗闇を彷徨う。行き交う感情の流れを、ヴェルザー=メストとクリーヴランド管は、比類ない精緻な演奏で表現する。消えゆくように終わった後のセヴェランスホールの静寂を、ラジオ越しにも感じることができた。

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プロメテウス・プロジェクト in 東京 [音楽]

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The Creatures of Prometheus
Beethoven Symphony No. 1
Beethoven Symphony No. 3

The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
June 2, 2018 at Suntory Hall

祭りが終わった。
オーケストラの創立100周年を記念し、「プロメテウス・プロジェクト」と銘打ったフランツ・ヴェルザー=メストとクリーヴランド管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全曲演奏会が、先日幕を閉じた。私が聴いたのは初日の演奏会なので、すでに2週間が経つが、記憶は薄れるどころか、今でもあの日の光景が脳裏に浮かぶ。

プロメテウス・プロジェクトを知ったのは、2年前の夏だった。地元クリーヴランドの文化系ラジオ番組”The Sound of Applause”に出演したヴェルザー=メストが、その構想を雄弁に語っていた。ついにベートーヴェンツィクルスが実現するのだ!と、夜中に興奮したのを今でもよく覚えている。

私がヴェルザー=メストとクリーヴランド管の音楽を聴き始めたのは、2011年からだ。プロフィールに書いているとおり、非常に不思議な出会いだった。以降、商業録音はもちろんのこと、地元ラジオ局の放送を録音しては繰り返し聴く、という生活を続けている。去年、来日の詳細を知った時の喜びと言ったらもう...。

といいながらも、昨秋より生活環境が大きく変化し、コンサートへ行くこと自体が危うくなっていた。実は5月の下旬になっても、プロメテウス・プロジェクトへ行ける可能性がほとんどなかったのである。もう生演奏を聴くことは叶わないのかと意気消沈していた5月30日。突然予定が立ち、急いで6月2日のチケットを購入する。チケットと切符が揃ったのは何と5月31日であった。奇跡としか言いようのないことが起こり、私は上京した。

サントリーホールへ行くのは、2011年のウィーンフィル公演以来、こちらも実に7年ぶりだ。クロークに荷物を預け、席に着いたのは開演15分前くらいだっただろうか。ステージでは、第1ヴァイオリンのパクさん、真覚さん、グさんが、席配置についてオケのスタッフと話している。パートをさらっている奏者さんもかなりいた。

ふとRBブロックに目をやると、楽団関係者の姿が目に留まる。理事、楽団長、そして来日公演の最大のスポンサーである藤田浩之氏と奥様の姿が見えた。しばらくして、アンゲリカ夫人(ヴェルザー=メストの奥様)が来場し、藤田氏と大きくハグを交わした後、談笑されていた。

演奏会は、プロメテウスの創造物で幕を開けた。ふわっと柔らかいのだけれど、鋼のような強靭さを備えた弦楽器の音色がホールに鳴り響く。

フルートとオーボエの1番奏者が、準首席から首席の両名(スミスさんとローズンワインさん)に代わり、交響曲第1番が始まった。印象深かったのは、第2ヴァイオリンが奏でる繊細な旋律で始まる第2楽章だ。淑やかな雰囲気を纏った弦の音色。ああ!これだ!まさにこれだ!私はこの音色を聴きたかったのだ。どことなく翳りのある、消えゆくような弦の響きに、早くも心の奥底が震えた。

後半の開始前に、天皇皇后両陛下がご来場された。ヴェルザー=メストと親密なご関係にあるので、5日間の中でいつかはお越しになるであろうと予想していたが、まさか初日とは。(光栄な限りでした。)

さて、後半は交響曲第3番、英雄だ。
第1ヴァイオリンが18人?...まずそのとてつもない大編成に仰天した。いったいどんな音になるのだろうと不安がよぎったのも束の間、冒頭のジャン、ジャン。何と澄み切った強奏だろうか。洗練を極めた音の迫力に、ただただ圧倒されるばかりだった。歌うところはこの上なく優雅に(第1ヴァイオリンのボーイングが、本当にピタリと揃っていた)、抑えめのブラスが嫋やかさを添え、柔らかな木管が綺麗に溶けあう。あっという間に第3楽章まで来ていた。

マーラー9番の第3楽章や、6番の終楽章のような勢いで、畳み掛けるように走り抜けた第4楽章。オペラのようなドラマティックさを持って、クライマックスを歌い上げたのだった。アスリートがラストスパートをかけるかの如く、アクセルを全開にし、ラストへと駆け抜ける。これぞヴェルザー=メストの音楽の真骨頂であり、クリーヴランド管とだからこそなし得る妙技なのだ。今回の一番の収穫は、彼らの強靭で澄み切ったフォルテサウンドを、全身で浴びたことかもしれない。一点の曇りもない音色に、完全に心を奪われたのだった。

演奏会は20時過ぎに終演した。ホワイエで余韻に浸りたい、出待ちをしたいという気持ちをぐっと抑え、夜行バスへと急いだ。

翌日、招聘元のアマティさんが、2日の写真をインターネットに掲載していた。何とそこには、一般参賀中のヴェルザー=メストに拍手を送る自分の姿が。最高のお土産になった。


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ヨハン・シュトラウス2世 ワルツ『別れの叫び』 [音楽]

いつもお読みくださっている皆様、明けましておめでとうございます。今年もマイペースで楽しみたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。


ふとしたことから、お正月休み中は、2011年のニューイヤーコンサートのCDをかけっぱなしにしていた。その中で、ヨハン・シュトラウス2世のワルツ『別れの叫び』に夢中になっている。当時はニューイヤー初登場の曲ということで、残念ながらほとんど記憶に残らなかった。7年ぶりに聴き返し、細やかな音楽の流れと切々と心に沁み入る旋律に釘付けだ。弟のヨーゼフの曲かと思ったほどである。ある曲が突然語りかけてくるのは、なぜなのだろう。ヴェルザー=メストは、思いもよらない名曲を発掘し、紹介していたのだなあとしみじみと思う。そういえば、年末はお隣の上海で、ニューイヤーコンサートを指揮したらしい。本国での復帰はいったいいつなのだろう...。

2011年はリストのメモリアルイヤーだった。生誕200年を祝し、ニューイヤーコンサートでもメフィストワルツをはじめ、リストゆかりのワルツが演奏された。モーツァルトの生誕100年を祝うため、1856年にリストはウィーンを訪問した。その際、ヨハン・シュトラウス2世は、ワルツ『別れの叫び』をリストに献呈したという。

コンサート第二部の
・ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ『別れの叫び』作品179
・ヨハン・シュトラウス1世:『熱狂的なギャロップ』作品114
・フランツ・リスト:『村の居酒屋での踊り』(メフィスト・ワルツ第1番)
は、リストのメモリアルイヤーに実にふさわしいプログラムだった。当時もそんな解説を聞いたはずだけれど、なんとなく聞き逃していたようだ。渋い選曲、ヴェルザー=メストらしいではないか。

ワルツ『別れの叫び』は、”別れ”というタイトルが付いているだけあって、どことなく儚げな雰囲気が漂う。別れを惜しむかのように歌い上げるヴァイオリンの音色が出色である。1:02頃から始まる旋律に、心が強く揺さぶられるのだ。


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ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第15番 [音楽]

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(秋の青空に映える酔芙蓉)


Beethoven String Quartet No.15 (arranged by Franz Welser-Möst)
Bavarian Radio Symphony Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
June, 2017年

「人は必要な時に必要な人と出会うもの」とよく言われるが、音楽についてもそうではないかと思う。ある曲との出会い、音楽家との出会い、作曲家との出会い。ヴェルザー=メストがオーケストラ用に編曲したベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番を、数ヶ月前に初めて聴いた。そもそも弦楽四重奏曲には馴染みが薄いので、どんなものかと思いながらPCを開いたのだった。旋律美や曲の持つ清らかな空気感に感動することはよくあるのだけれど、今回ばかりは違った。心の中から何かが溢れ出すような感覚に陥ったのだった。ベートーヴェンは当時、腸カタルを患い、作曲を中断せざるを得なくなった。奇跡的に快復を遂げ、作曲を再開する。病からの治癒に感激し、神への感謝を示すために作曲された第3楽章は、神々しい光を放つ感動的な楽章だ。

ヴェルザー=メストとバイエルン放送響の演奏は、ベートーヴェンの心を照らす厳かな光や、彼の溢れんばかりの神への感謝の思いを、聴く者の心へ丁寧に刻印してゆく。今まで生きてきて、生死を彷徨ったことなどないけれど、今自分がこうして生きていること自体が素晴らしいという気持ちが沸き起こる。第3楽章の旋律を聴くたびに、自然と涙が頬を伝って流れ落ちてゆく。薄紙を剥ぐように心が軽くなり、胸の奥底に清らかな光が差し込むのだ。きっと10年前に聴いても何も感じなかったかもしれないが、今の自分には最もふさわしい曲なのかもしれない。

明日、クリーヴランド管の定期演奏会で、この曲が演奏される。WCLVではセヴェランスホールからの生中継が予定されている。ホームグラウンドのオケとどんな演奏を聴かせてくれるのか、今から楽しみでならない。そういえば、この曲は、2016年にブーレーズが逝去した際、追悼の思いを込めてセヴェランスホールで演奏されたのだった。ヴェルザー=メストとクリーヴランド管にとっては、きっと特別な曲に違いない。


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チャイコフスキー 交響曲第1番 冬の日の幻想 [音楽]

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Tchaikovsky Symphony No. 1 Winter Daydreams
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
Jaunuary, 2016年

連日の猛暑日。灼熱の暑さが続く。暑い暑いと言いながら、聴いているのは真冬の曲だ。「冬の日の幻想」に出会ったのは、去年のマイアミレジデンシーだった。普段は4番、5番、6番しか聴かないので、若い頃の作品にはあまり馴染みがない。2016年1月24日の日曜日。いつものように、WCLVから流れてくる中継を録音した。その曲をiPodに同期し、家を出る。午後から休日出勤だったのだ。前半のシューマンを聴きながら、冬の青空の下を歩いた。ところが、夕方に天候が急変する。太陽の光は消え失せ、サラサラとした粉雪が降り始めた。退社する頃は、辺り一面が雪景色。急な大雪でタクシーがつかまらなかったので、ヴェルザー=メストとクリーヴランド管の「冬の日の幻想」を聴きながら、強い吹雪の中を歩いた。音楽の世界を、地で行くような不思議な体験だった。朝は掴みどころのない曲だと思っていたのだけれど、雪の中で聴いていると、音楽が体に染み込むような感覚にとらわれた。以来、お気に入りの一曲だ。先月、ヴェルザー=メストは、バイエルン放送響で同曲を指揮した。あの日の記憶が蘇ってきた。どちらも素晴らしい演奏なのだけれど、やはりクリーヴランド管の演奏を取り上げよう。独特の優美さと芯のある響きは、私を惹きつけてやまない。オケと指揮者の一体感、流麗さと力強さは、チャイコフスキーでも健在である。

第2楽章の解釈がとりわけ秀逸だった。白いキャンバスの上で、淡いグラデーションが広がってゆくかのような繊細な世界に魅了される。オーボエ、チェロ、ホルンが、順番に旋律を奏でながら、様々な楽器が色を添えてゆく。なめらかにたゆたう音楽の流れは、ヴェルザー=メストの真骨頂だ。オーケストラは、第1楽章での弾力性のある力強い響きから一変し、精緻な趣きをみせる。雪の中に消えてしまいそうな儚さ。音符に秘められた作曲家の淡い感情まで見え隠れする精巧な解釈に、耳が釘付けになるのだ。言葉にならない寂しさを湛えた世界。このまま夢が覚めなければいいのに、世界は闇のままで、闇が明けなくてもいい...と何度思ったことか。

両端楽章の疾走感と飛翔感も魅力的だ。ヴェルザー=メストはとても速いテンポでオケをドライヴするのだけれど、全く弛緩することがない。堅牢さと清澄さを両立させた響きが、いつまでも耳から離れなかった。


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シベリウス ヴァイオリン協奏曲 [音楽]

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Sibelius Violin Concerto
Bavarian Radio Symphony Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
Nikolaj Znaider, violin
2014年

シベリウスは、その生涯の中で協奏曲を一曲だけ残した。今回取り上げるヴァイオリン協奏曲だ。ロマン派の名曲であり、ヴァイオリニストのレパートリーとして定着している。美しさの奥に激しい情感と色香を湛えた名曲だ。曲の冒頭に「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」と指示があるとおり、北欧の深い森や厳しい自然を思い起こさせる。

昔からこの曲が好きなので、フランク・ペーター・ツィンマーマン(新録の方)やギル・シャハム、諏訪内晶子さんの演奏で繰り返し聴いてきた。先日録音の整理をしながら、ズナイダーの演奏を見つけた。2014年のバイエルン放送響での演奏会だ。当時はあまり気にもとめず、後半のくるみ割り人形ばかりを聴いていた。3年ぶりに聴いてみると、その音色に耳が釘付けになってしまった。翳りのあるややくぐもった音色。美音なのだけれど、ギルシャハムのようなキラキラと光を放つような音色とは違うのだ。輝きを内に秘めたブラックパールのような雰囲気が、曲の持つ抑えた情熱や官能性を存分に引き出していた。かつて覚えのない不思議な感覚だ。ヴェルザー=メストと共演が多いのは、同じ事務所だから?と邪推したのが恥ずかしい。これはヴェルザー=メストが好む音楽だろうな...。

冒頭、ねっとりとした潤いのある音色が、じわじわと体の中に染み込んでくるような感覚が走る。余分な力を削ぎ落としたズナイダーのボウイングが実に素晴らしい。ズナイダーが鷲ならば、ヴェルザー=メストとバイエルン放送響は、北欧の澄み切った空気なのだ。ソリストにぴたりと寄り添い、控えめな響きで魅了する。そりわけ、フルートの楚々としたソロが印象的だった。

ズナイダーは、分かりやすい個性に溢れたタイプでないが、聴くたびにその良さに魅了される。先日のN響でのメンデルスゾーンも素晴らしかった。彼の持ち味である勢いのあるボウイングと、洗練された線の太い美音が出色だった。シベリウスの後に演奏されたアンコールのバッハも、憂いを帯びた音色が後を引く。彼の独奏で、バッハをもっと聴いてみたい。


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ブルックナー 交響曲第7番 [音楽]

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Bruckner Symphony No. 7
The Cleveland Orchestra
Franz Welser-Möst, conductor
January 2017, Miami Knight Concert Hall
オンデマンドは、来週月曜日まで。)

人は、光り輝くものに惹かれる。太陽でも月の光でもいい。輝いているものに魅了されるのだ。マイアミ演奏会のブルックナーは、燦々としたきらめきを放っていた。指揮者と奏者の揺るぎない自信。湧き上がるような熱気と高揚感に溢れ、非の打ち所がない演奏だ。

ヴェルザー=メストの7番は、これまでに4種類聴いている。ユースオケ、ロンドンフィル、クリーヴランドとのレコーディング3種、そして去年のコンセルトヘボウ管デビューの演奏会だ。今回のマイアミの7番は、巧みに情感を付けながら、エネルギーがほとばしるような熱い演奏だった。マイアミコンサートホールの恵まれた音響も、一役買っているだろう。WCLVの録音技術のおかげで、日本にいながらこんなに素晴らしい響きを堪能できるのだから、実にありがたい時代だ。

ヴェルザー=メストの音楽は、その美しさに焦点が集まる。もちろん、今回のブルックナーも極上の美を追求した演奏だ。ただ、今までとは違う。指揮者と奏者が、同じ地点へ向かって無心に進んでいく。音楽があるのみだ。彼は、クリーヴランドでの音楽づくりで重要視する点として、奏者の”self-confidence”を上げている。大勢で合奏する場合、各自が自信を持って奏でなければ、芯のある響きは生まれない。これは邦楽でも同じなのでよく分かるのだ。凜とした強さのある美しさほど、完璧なものはないだろう。特に弦セクションの優雅さと強靭さを兼ね備えた太い響きは、心に深く刻み込まれた。

冒頭の弦のトレモロの後、豊穣なチェロの響きで曲は始まる。アンサンブルが完璧なのはいうまでもない。ブルックナーの音符が、澄み切った空気の中で、凜として輝く花々のように感じられた。光の差すような神々しい雰囲気の第2楽章。さりげなく淡々と進むかのようでありながら、曲の持つ優美さ、繊細さが胸に響く。

第3楽章のスケルツォは、非常にテンポよく音楽が流れてゆく。繰り返しが続くので、演奏によっては退屈しそうな楽章だ。マイケル・ザックスさんの颯爽としたトランペットの音色が、高らかに鼓膜を突き抜ける。フィナーレの軽やかさは、このコンビならではの響きだろう。

大きくテンポをゆらしたり、特定の楽器を際立たせる場面は一切ない。どこまでも自然体でありながら、ブルックナー7番の魅力を余すところ無く伝える秀演だ。演奏から伝わってくる電流のようなまぶしい震えが、私の心の中にいつまでも残っている。


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純白のブラームス [音楽]

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Piano Concerto No. 1 in D minor, Opus 15
Philharmonia Orchestra
Herbert Blomstedt, conductor
Martin Helmchen, piano
(オンデマンドはこちらから。約1ヶ月聴けます。)

先週金曜日の早朝、BBC Radio3でフィルハーモニア管の定期演奏会が放送された。お目当は、ヘルムヒェンが弾くブラームスのピアノ協奏曲第1番だ。ブロンフマン&ヴェルザー=メスト、クリーヴランド管の完成度が極めて高いので、さあどうかなと思いつつチャンネルを回した。

ライブならではの瑕疵はあるし、テクニックはやはりブロンフマンの方が上だと思う。弦に厚みがあって芳醇な響きで魅了するのは、クリーヴランド管だ。それでもなお惹きつけられるのは、その爽やかさにある。純白のブラームス。真っ白なキャンバスをイメージさせる瑞々しい響きに、思わず釘付けになってしまった。若きブラームスの清廉な姿が、鮮やかに蘇ってくるのだ。

爽やかだからといって、淡白なわけではない。火花のように燃え上がるクララへの愛を、ヘルムヒェンは澄み切った音色と深い打鍵で見事に表現する。彼のピアノは本当に音が濁らない。特に印象に残ったのは、第2楽章。ペダリングを駆使しながら、一音一音を噛みしめるように進んでゆく。柔らかで淡い響き。透明なタッチ。ブラームスの秘められた情熱を垣間見るような瞬間が幾度となく訪れた。

オーケストラとピアノと指揮者が同じ方向を向いている演奏ほど気持ちの良いものはないだろう。ヘルムヒェンは、ブロムシュテットさんやドホナーニさんとの共演が多い。おじいちゃんと孫くらいの歳の開きだが、音楽性が近いのかもしれない。ピアノに共鳴するかのように、オケの響きもクリスタルガラスのような清澄さが印象的だった。絹ではなくて木綿のような爽やかさが後を引いた。5月の晴天に映えるブラームスだ。


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